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私は嘘つき

 

私は嘘つきである

 

 

こんにちは

内藤です

 

有名な例文ですね

自己言及のパラドックス

 

私は嘘つきである

 

この発言は矛盾を含んでいる

 

もし本当に嘘つきであるなら

私は嘘つきだ、と本当のことを言ってしまっている

 

もし正直者だとしても

私は嘘つきだ、と嘘をついていることになる

 

いずれにしても成り立たない

 

こういう真偽の判定が出来ないものを

自己言及のパラドックスと言うわけです

 

ちょこちょこありますよね

 

ここでは静かにしなさい

と大きな声で言う

 

この壁には貼り紙をしないこと

という貼り紙をしている

 

えっ?それおかしくない?

なーんてことが日常でもあったりするんです

 

何でこんなことを言ったかというと・・

 

今日ね

生徒さんに言ったんです

 

レッスンでコーチが言う「ナイショー」なんてほとんどがウソですよ

って

 

私は平気で嘘をつきますからね

って

 

正直に話をしたんです

 

・・・

 

と、いうことは

私って正直者ですよね

 

嘘をつくことがある

と正直に告白している

 

これはまさに正直者

素晴らしいと思いませんか?

 

・・・

 

難しいところですよね

 

私は嘘なんてつかないですよー

 

なんて言ったところで

それが嘘だった場合は騙されることになるわけだし・・

 

じゃあ全員が全員

嘘つきなどいなくて正直者だと思えばいいか

といえばそうでもないでしょう

 

それもまた騙されることになるわけですし・・

 

 

まあ、結局はね

受け手の問題でしょうね

 

言われた側が

その人の人となりをしっかり判断して

その時の状況や前後の文脈も考慮に入れて

その都度適切なジャッジをする

 

これは真だ

これは嘘だ

これは概ね本当だ

これは嘘とまではいかないが大げさだ

これは単なる冗談だ

 

そんな風にね

受け手の度量が試される

というか

受け手によって真偽が決定される

ということだと思うのです

 

 

私は嘘つきである

 

この答えの無いパラドックスに解を与えるのは

受け手の判断

受け手と発信者の関係性ということです

 

今日、私が言ったこと

私はレッスンで嘘をつきます

 

これをね

あー、内藤コーチは正直に嘘を嘘と言う

やはり信頼に足る人だ

 

となるのか

 

やっぱり内藤コーチって嘘ばっかりよねー

と信頼を無くすのか

 

どちらの解を選択するのかは

皆さん次第

私の日頃の行い次第

ということなのでしょうね

 

 

今日の生徒さんはね

奥Dさんはね

 

それはもう

内藤コーチって正直ですねー

ってなっていましたよ

 

奥Dさん自身が正直者なので

騙されやすいというか何というか・・・

 

皆さんにおかれましては

くれぐれもお気を付け頂くようお願い申し上げます

 

 

自分のちょっとした発言から

ふと哲学的なことを考えてしまいました

 

それではまた

 

頑張ろう日本!

 

 

最後に皆さんに質問です

『はい』か『いいえ』で答えてください

 

あなたが次に発する言葉は『いいえ』である