r-7110のブログ

メルマガ『reborn』バックナンバー

懺悔


おはようございます
内藤です

第166回のテーマは
「懺悔」

読めますか?

そうですね

ザンゲ

ではなく

さんげ
です

キリスト教の言葉で
ザンゲと言われることが多くて
そちらがポピュラーになっていますが

元は仏教用語

さんげと読みます

なのに・・・

さんげ
で打つと変換出来ない・・

ざんげ
だと変換できるのに・・

まあ、それはいいとして

懺悔

悔い改めるということですね

過ちを認め
もう二度としないという誓いを立てることです


どうして仏教の懺悔が一般に認識されていないかと言うと

厳し過ぎるからです

キリスト教の懺悔に比べて
非常に厳しい戒律なんですね

キリスト教における懺悔は
反省や後悔というところ

これが仏教では
それどころでは済まない

仏教では
血の涙を流し
血の汗を噴き出し
もう二度としないと誓う

そういうことなんです・・・


まあ、これは恐ろしいですね

さんげ
ではなく
ザンゲ
が採用されるのも仕方ありません


そこまでにはならないにしても
やはりね

悪いことをしたとき
過ちやミスを犯したときに
懺悔する
非を認め謝罪するということは必要です

そう
懺悔で最も重要なこと
その出発点は
「認める」ということ

自分の犯した非を
「認める」

これが出来れば
懺悔の大半はなされたということになります


でもこれがなかなか難しい

出来ないんです

今回の吉本興業の騒動の発端

雨上がりの宮迫もそうでしたね

自分のしたこと
ありのままに事実を認め
それを公表して謝罪をすれば
ここまで大きなことになっていなかったかもしれません

誠意を示す
というのは
まずは自分のしたことをありのままに認め
事実を伝える
ということからしか生まれません


でもやはり私たちも
失敗やミスをしたとき
言い訳をしたり
誰かのせいにしたり

自分の罪が軽くなるように
時系列をごまかしたり
事実を曲げたりする

保身の為に
と言いますが
保身にならないですからね

本当に自分のことを考える
保身を考えるなら
きっちり懺悔する
事実を認め謝罪した方が自分の為になります

非を追及されると
そんな簡単な判断力さえ奪われてしまうのでしょう


ジュニアの試合でもあったんです

スクール内の試合ですが

ジャッジミス
というより
意図的に自分が有利になるようにジャッジをして
試合に勝っていたんです

クラブハウスから見ていたのですが
完全に意図的
誰の目にも明らかでした


でも、まあ子供の試合です

テニスは独りぼっちです
過酷なスポーツ

そういう過ちもあるでしょう

あまり厳しく咎めてもかわいそうなので
戻ってきたときに
軽めに問いただしました

許すことを前提にです

ジャッジミスをしちゃってたね
自分に有利になるようにしちゃっていた
まあ、分かるけどダメだよ
そんなことしてても本物にはなれないからね
って


その自分のしたことを認め
ごめんなさい
って言えば

いや、ごめんなさい
とは言えなくても
何も言わなくとも
認めさえすれば許そうとしていたのです

でも・・
言い訳

えっ?
そんなことありました?
的なごまかし・・


結局そのことについて
認めない、非をごまかそうとしたことについて
厳しく指導しました

試合も無効試合にしました


一回の過ちは仕方のない
誰にでもあることです

冷静さを欠いて
何かをやらかしてしまうこともありましょう

問題は懺悔出来るかどうか

その過ちをありのままに認められるかどうか

そこに人間性
人としての気質・器量が表れるのでしょう


そもそも過ちを犯さないことも大切ですが
事が起こってしまったら仕方ありません

きちんと懺悔をすることでしか
再び前を向いて進むことは出来ないのです


今日は懺悔
懺悔とまではいかなくとも
自分の非・ミスをありのままに認めましょう
テニスでもです
コーチの指摘に対して
いや、でも、それは分かってるんですけど
しようとは思っているんですけど
そういう思いは出さずに
ありのままに受け止めて改善していきましょう!