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息の根

こんにちは

内藤です

 

昨日のブログにコメントを頂きました

 

個人的なことに温かいコメントまで頂いて

ありがとうございます

 

おばあちゃんも喜んでいると思います

 

 

昨日の続きになりますが

100歳・・

100年ですからね

 

本当にすごいことです

 

100年ではなくても

50年でも

10年でも

1年でも

3ヶ月でも

1日でも

 

「生きる」ってとんでもないことです

 

 

よくね

生きる意味が分からない

とか

自分の存在意義とか生きる価値とか

 

そんなことを言ったりしますが

 

何てことはない

というか

何と途方もないことです

 

生きる

生を紡ぐということ自体が

 

 

アメリカの大学でこんな実験があったそうです

 

小さな箱の中に一粒の麦の種をまく

水を与えること数十日

貧弱な一本の麦の苗が育つ

そのあとで箱を壊し

土を振り落として

どれほどの根を土の中に広げているかを

物理的に計測する

というもの

 

貧弱な麦が芽を出し

その生命を支えるのに

どれほどの根が必要か

 

目に見える根の長さを測り

見えない根毛も細かく計算

 

その結果・・・

 

どれくらいだったと思います?

 

何とですよ・・

 

小さな箱の中に張り巡らされていた麦の根

その総延長数は

実に一万一千二百キロメートルに達していたのです

 

一万キロメートル越えですよ・・!

 

 

か弱い一本の麦

 

その貧弱な生命を支えるために

一万一千二百キロメートルの根を土中に張り巡らして

そこから必死に生命の糧を吸い上げつつ生き続けているのです

 

生きてこの世に存在すること

 

目に見えないところで

一体どれほどの働き

どれほどの努力が必要かを痛感させられます

 

 

それを考えるとね

 

私たちが生きていること

 

これはもうまさに奇跡でしょう

 

一本の麦ですら

一万一千二百キロの根を必要とするんです

 

私たちが生を継続するためには

途方もない

想像も及ばないほどの無限の営みが存在しているのでしょう

 

 

ただ生きていること

 

これはもはや称賛すべきことです

 

生きるために

すでに相当な努力が払われている

 

でないと存在することなど不可能です

 

 

そうであるならば

 

人がどのように生きるか

などは小さな所業に過ぎない

とさえ思えます

 

ただ生きて

この世に存在している

ということ自体が

もうすでに驚くべき価値のある行為に他ならない

 

そう思うんです

 

 

生きることの意味

など見出す必要はないのでしょう

 

生きている

ということ自体に意味も意義も価値もあるわけですから

 

 

誰かが亡くなるのは悲しいし寂しいし

くやしい時もあれば受け止められない時もあります

 

でもその人は少なからず生きた

途方もない生の営みをしてきた

 

これは紛れもない事実です

 

まずはただそのことに

畏敬の念を持ち

最大の賛辞を贈ることをためらうべきではない

と思っているのです

 

 

またまた何だか哲学じみた話になりましたが・・

 

とにかく

まだまだ生きている私たちは

命の許す限り生きていこう

ってことです

 

何をしようが

何もしまいが

とにかく生きていこう

 

ただそれだけです

 

 

それではまた

 

頑張ろう日本!