r-7110のブログ

メルマガ『reborn』バックナンバー

暴力反対?

こんにちは

内藤です

 

いやー、久しぶりですね

 

なぜかと言うとね・・

 

 

花粉のせいじゃボケェー!!

多摩地区の杉、全部切ってやろうかー!

 

・・・

 

何でこんなに花粉を出すのでしょうか

 

そんなに出さなくても

十分生存率高いじゃないですか

 

まあ、そんなこんなで

花粉症の私は弱っていたわけです

 

あと1週間もすれば乗り切れそうです

 

 

今週は衝撃的な事件がありましたね

 

アメリカのアカデミー賞

 

日本の作品がノミネートされ

見事に受賞したのですが

 

そんなことより・・

 

どんな映画のワンシーンよりも

衝撃的なシーンが繰り広げられました

 

ウィル・スミスが壇上で平手打ち

プレゼンターのクリス・ロックを吹っ飛ばしました

 

衝撃でしたよね

映像を見た時、ビックリしましたもん

だってアカデミー賞の授賞式ですよ

世界中で放送されているんですよ

 

何事かと思ったら

奥さんの脱毛症を笑いのネタにされたとのこと

 

 

まあ、それは怒りますよね

それこそ世界中の目の前で笑いのネタにされたわけですから

 

言った本人がポジティブなジョークのつもりだったとしても

言われた側が傷付けば立派な中傷ですからね

 

ウィルスミスが行動に出たことは当然だと思います

 

ただ・・

やはりその行動の仕方はよろしくなかった

というか

もう少し冷静に考えるべきではありましたよね

 

公衆の面前で自分の家族をネタにされて

なかなか冷静に判断するのも難しいものですが・・

 

 

まずこの件でね

いかなる時も暴力はよくない

と声高に言う人があるのですが

 

それはどうでしょうね

 

そういう方々は死刑制度や正当防衛をどうお考えなのでしょうか

 

自分の命や権利、公共の福祉が侵害されてもなお

他者への実力行使は認めてはいけないと?

 

まあ、それも一つの崇高な思想ではありますが

なかなか実現不可能な気がします

 

時に暴力、実力行使は必要

 

暴力=絶対悪 ではなく

その運用

個人や社会に適切なモラルが求められる

ということなんだと思います

 

 

今回のウィルスミスの暴力は

家族の権利を守る

という防衛性が若干認められるので

最適解ではないが、そこまで非難するほどでもないと思います

 

しかし

今回の暴力のもう一つの原動力が

報復であったことも否めません

 

言われたことに対する防衛

ではなく

報復行為として平手打ちをした

 

ここが引っかかっている部分なんだと思うのです

 

ただね

これは本当に程度問題なのですが

報復としての暴力

これも許容して然るべきだと思います

 

骨を折ったり切り刻んだりするのは別ですが

平手打ちくらいの軽微な報復は許容した方が健全だと思うんです

 

平手打ちが大けがに繋がることもあるし

子供に対してなどは、状況によっては心的外傷にも繋がるので

本当に程度問題なのですが

基本的に暴力はその場の痛みで終わります

 

今回も

クリスロックは左頬が痛んだだけです

 

社会的な制裁を受けることもなく

大きな精神的ダメージを負うこともなかった

 

平手打ちという

「軽微」な罰で済むことになったんです

 

むしろ

暴力までふるわれてかわいそう

なんてことにもなるわけです

 

報復行為としてはあまり効果が出ていない

 

単発の暴力にはあまり威力はないので

報復の手段として目をつむっても差し支えない

 

非暴力の報復を阻止した方が

社会運営上は健全だと思うんです

 

 

報復の炎はどうしても燃えることがあります

 

その時に暴力が絶対にダメ

暴力だけはしない

そう冷静に立ち止まってしまうと

とことん追い込むリスクが生まれます

 

今回もそうでしょう

 

ウィルスミスが暴力を振るわずに

いかにこいつを追い込んでやるか

 

そう考えて

あの場を紳士に振る舞い

悲劇のヒーローを演じ

ありとあらゆる言論と法的措置を上手く駆使

クリスロックへの風当たりを強くし

クリスロックを完全に社会から葬り去る

 

あくまで自分は傷付いている

本当はクリスロックに対しても慈悲の心がある

そう見せかけて追い込むことなどいくらでも出来るわけです

 

暴力があったことで

そこまで発展することがなかった

 

暴力という比較的、社会的なダメージが少なくて済んだ

ということが言えるわけです

 

 

「基本的」に暴力はダメです

 

しかし時と場合によっては

暴力という盾であり矛が必要な場面もあります

 

暴力の方が

人間関係の損失を最小化出来る場合もあります

 

 

話し合いこそ正義

言葉を尽くせば分かり合える

 

いかにも響きはよいですが

現実的にそうはいかないケースもある

暴力を伴わない報復の方が、時に「暴力的」になる

そんなことも頭に入れておかないといけませんね

 

 

非暴力というスローガンのもと独立を勝ち取ったガンジー

 

独立を得るために有効だった非暴力が

国家建設、国家運営の元では意味を成さない

ということを彼は知っていました

 

近代国家とは正当な暴力を独占する社会組織である

 

マックス・ウェーバーのこの言葉を覆すことはなかったのです

 

ガンジーは軍事力を持たない憲法案を示しながらも

よもや現実的ではないことを悟り

新国家から自ら身を引くことになるわけです

 

 

これもまた難しい問題です

何の暴力も必要としない世界が理想ですが

どうやらそうはいかないようです

 

と言っても

必要のない暴力は排除するようにしていきたいものですね

 

 

それではまた

 

頑張ろう日本!