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ジャッジメント

負けは負け

横綱なら誤審させるような相撲を取ってはいけない

 

 

こんにちは

内藤です

 

昭和の大横綱

大鵬のあまりにも有名な名言

 

連勝記録を45にまで伸ばしていた春場所二日目

平幕の戸田との一番でその事件は起きた

 

一度は大鵬に上がった軍配に物言いが付いて

行司差し違えで戸田の勝ちとなる

しかし

写真やビデオでは戸田の足が先に土俵の外へ出ていた

 

この「世紀の大誤審」が原因で

翌場所からビデオ判定が採用されるようになったのです

 

明らかな誤審で大一番を落とした大鵬

その思いを聞かれた際の返答が冒頭

 

横綱としての矜持・覚悟

そして

行司への敬意もあったのでしょう

 

大鵬はこうも続けています

 

私はビデオ判定には反対だ

 

それはそうでしょう

 

行司あってこその相撲です

勝負の判定は行司に委ねられている

それを承知して相撲を取る

 

行司には行司の覚悟があるんです

 

行司の最高位の立行司にのみ帯刀が許されています

 

なぜか?

 

立行司は差し違えをしたら

切腹しなければならなかったのです

(今は実際にはしませんが)

 

それほどの覚悟と信念を持って

行司に臨んでいるのです

 

 

確かにビデオは事実を映すでしょう

 

でも

いくら頑張っても

人が紡いできた相撲に宿る精神性

 

その真実を映すことは永遠にないということです

 

 

これはテニスもそう

 

審判が必要なんです

 

主審がいなくても

ホークアイ(チャレンジシステムのジャッジ機能)と

ポイントコールのAIがあれば試合進行は可能です

 

その方が双方が納得した形で

円滑に進行されるでしょう

 

何だかんだと事実が言い争われることはない

 

事実は明白にされるわけですから

 

でも違う

でもしないんです

 

テニスもサッカーもバレーボールも野球も

審判を配置する

人に判定を委ねている

 

それがそのスポーツの持つ真実

審判がいることでしか完成されないスポーツ

審判がいることでしか

その精神性が成り立たないスポーツだということです

 

テニスも然り

なんです

セルフジャッジもまた然り

なんです

 

セルフジャッジという

何とね

相手側に自分のショットの判定を委ねるという

一見すると稚拙なルールにも真実があるんです

 

相手へのリスペクト

プレイヤーへのリスペクト

 

対戦相手同士が尊重して

そしてまた

観客(外野)も選手に敬意を払って

テニスの試合を作り上げましょう

ということです

 

プレイヤーがアウトとコールすればアウト

なんです

 

よほど悪質なものや

大きな間違いには声を上げて指摘すべきですが

本質的には委ねなければいけないのです

 

これは当然、ミスジャッジを正当化したり

嘘を付いてもいいとかいう意味ではないですよ

 

最大限の尊重をしなければならない

ということです

 

 

人が審判をする

 

そこには機械にはない判断が入る

 

事実とは違う真実を考慮してしまう

 

だから面白いんです

 

例えばセルフジャッジの試合でね

クロスクロスで完全にコートの外へ追い出された

仕上げのストレートも完璧なショット

ライン際ギリギリ

 

自分の目には少しラインを割ったように見えた

事実はアウトだ

しかし

真実はどうだ?

 

今のテニス

完全に私の負けじゃないか・・

よもや今のショットをアウトとは言うまい・・

 

こう考えても

これもまたテニス

いや、これぞテニス

といっても過言ではないのかもしれません

 

 

これもまた難しい問題です

 

ミスジャッジや悪意のあるジャッジは許されるものではない

 

声を大にして排除すべきです

 

ただ、だからと言って

その判定を全て機械に任せて

人の判断を介入させないようにしてしまっては

そのスポーツの持つ意義が大きく失われることになる

 

プレイヤーや審判

そして観客も

携わる全ての人が

矜持と覚悟を持って

敬意を忘れずに

素晴らしいスポーツを作り上げたいものですね

 

 

それではまた

 

頑張ろう日本!