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メルマガ『reborn』バックナンバー

クオリア

こんにちは

内藤です

 

今日ね

荷物を運ぶために国立校から車で来たんです

 

その道中に

ちょっと感動したことがありまして・・

 

 

交差点を左折しようとしたんです

 

歩道も青信号

歩行者が通過するのを待っていると

 

年配のご夫婦が歩いて横断していたんです

 

私が何となく見ているとね

 

そのご夫婦が私の方を見て

 

スッと軽い会釈をしたんです

 

ほんの一瞬

ほんの少し

穏やかな表情で

お二人ともが同時に

 

どうも

 

という感じで会釈をしたのです

 

 

いや、知り合いとかじゃないんです

 

どういうことですか?

 

何の会釈

何の感情ですか

 

いやいや

意味不明ですよ

 

ただ普通に横断していただけです

 

特に遅いわけでもない

 

私に何か迷惑をかけているわけでもない

 

それなのに

お二人ともが穏やかに会釈をしたんです

 

 

申し訳ないでもない

挨拶でもない

何と表現してよいか分からない感情

 

 

でも分かりますよね

 

私たち日本人には

何となく理解することの出来る会釈

 

肌感覚的に受け取れる感情

 

そのシーンを想像して頂ければ

あー、そういう感じねー

って伝わると思います

 

でもね

これって冷静に考えると

すごいことですよね

 

どう説明していいか分からない「感じ」を

「何となく」という共通項で

ほぼ全ての日本人が共有している

 

いや、掘り下げるとね

確定的な理由、きちんと言語化される理由が

存在するのかもしれませんが

 

なかなかに難解だと思うわけです

 

 

言語は完璧ではない

からです

 

同じ青い空を見ても

100人いれば100通りの「感じ」があるわけです

 

気持ちいい

清々しい

壮大

鬱陶しい

目まいがする

 

晴れた日に苦い経験をした人からすれば

青空は悪いイメージになりますし

 

色んな「感じ」も

どんな言葉を尽くそうが

何かちょっとニュアンスが違う

ってことになります

 

人の感情の機微など

およそ言語では表し尽くせないものです

 

だからこそ私たちは

日々言葉への挑戦

そこにアプローチし続けるべきなのですが・・

(※「雄弁は銀 多弁はプラチナ」参照)

 

 

何が言いたいかというとね

 

人がAIに完全に取って代わられる日など

訪れることはないと思うのです

 

AIには理解しかねる「感じ」を

生身の人間は感じてしまうものだからです

 

AIが合理的に

そして理屈的、機知的に導く言語が

人間の「感じ」を超えることなど出来ないでしょうから

 

 

そんなことをね

 

年配のご夫婦の会釈から考えていたんです

 

そんな突拍子もないことを

通勤中の車内で考えるなんてこともまた

AIには考えつかないのだろうと思います

 

まあ、分かりませんけどね・・

 

 

とにかくね

 

やっぱり人と人の触れ合い

って温かいと思いました

 

だってね

 

そのご夫婦の会釈によって

私の心は確実に温まりましたからね

 

これはさすがにAIには難しいのではないでしょうか

 

 

無理矢理テニスの話に持っていくとね

 

ダブルスでは

ペアや相手の「感じ」を察知することで

プレーの質が上がります

 

ロブを読めるようになります

 

打つ前からです

 

なぜか?

と聞かれても

 

言葉にしようがないのです

 

そんな「感じ」がする

というだけです

 

その「感じ」

言語化出来ない声にならない声を

聞けるようになること

 

本当のコミュニケーション能力を磨くことこそが

テニスに限らず

どんな場面でも

局面を切り開いていけるということなのでしょう

 

 

そのためにはまず言葉を尽くすことです

 

私もまだまだ

 

このブログでも鍛えていこうと思います

 

 

それではまた

 

頑張ろう日本!